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セロ弾きのゴーシュ

「セロ弾きのゴーシュ」は、童話としては賢治の絶作だそうだ。
死の直前まで手を加えていたという。

そうだとすると、「未完」とも言えるわけだ。
もっと書きたい何か、まだ表現し切れていない何かがあった可能性がある。

ゴーシュの最後の場面の台詞「ああ、かくこう あのときはすまなかったなぁ。おれは怒ったんじゃなかったんだ」
は、初めて読んだとき、唐突で尻切れトンボ(←凄惨な言葉だ・笑)のような感じがした。

かっこうは、猫・狸・ネズミの母子の中で、猫の次、2番目の訪問者だ。なぜ特にゴーシュの気に掛かっていたのか、私にはすぐには理解できなかった。

狸はリズムを、ネズミは音楽の効果を、ゴーシュに教えたが、音楽そのものの内容、音楽の思想、音楽の哲学、音楽の全体というものに言及したのは、かっこうだけだったのではないか。

しかし、ゴーシュはたぶん「音楽を理解」して「上達した」のではないだろう。

「音楽の不可解さ不条理さ」に気付き、自分の演奏の「不可能性」に気付いたのではないか。

「セロ弾きのゴーシュ」は「音楽の学習課程」として読まれたり解説されたりすることが多いけれど、そうではなく、自分や「金星楽団」の音楽を「解体=壊す勇気」を描いた物語ではないのか。

そうでないとすると、ゴーシュの幾晩もの狂気的な練習の意味が、ふたたび私には分からなくなってしまうのです。
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プロフィール

たなか秀郎

  • Author:たなか秀郎
  • 1951年、東京生まれ。男。
    50歳を超えてからパン職人への修行を始めつつ、
    人形劇・批評・小説などを(頼まれもしないのに)
    創造し続けて、おります。

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